RE.氏のお宅に泊めてもらった翌日の今日、氏は前日の夜更かしのせいで眠そうだったので、そのお子さんと遊んでました。

その子と会うのはおそらく5度目になるのですが、4度目の時に、その子を放っておいてRE.氏と遊んでいた為、その子的に、イッシー=パパを取っちゃう人という扱いになっているようでした。

それじゃあ何となく居心地が悪い。ここはひとつ関係の修復をしよう。

基本的に幼児期の子供はかわいい。これは、周囲から(特に親から)愛情を受けられるようにできているからである。そういう風にできているのだ。
常に親にちょっかいを出したり、何かをやらかす。そして、親が自分の行いに答えてくれると、すばらしい笑顔を見せる。そうなると、親のほうとしても子供を愛さずにはいられない。

そういったからくりからして、基本的に子供というのは自分を注目してくれる人、しっかり見てくれる人には無条件で好意を持つ。そうすることで、まわりから大事にしてもらえるからである。

故に、こうしてじーっと幼児の動きを観察し、その行動にいちいち反応すると、すぐに好感をもってくれるわけである。
ほらね?

といった事を計算づくでやれたらすごいのですが、実際には幼児達の「好かれるようにできている」特質により、好意的に接してしまい、その結果、好かれるようになりました。つまり、手玉にとられたのはイッシーのほうだったわけです。

そんなこんなで遊びながら、人の心の所在とは何か?知能とは何なのか?自我とは?とつれづれと考えていました。たぶん、「アンドロイドの脳」という人工知能に関する本を読んでいたので、いつもよりもそういった事について考えてしまったのでしょう。(そういった事については、その本をもう一回読み直さないとうまく書けないと思うので、もうしばらくしてから書きます)

しっかし、子供の成長というのは早い。

前々回に会ったときは、紙ナプキンを急に広げてみせるだけで感心してくれたのですが、今回はそれくらいでは別に驚かない。神経が指先にだいぶ届いてきているし、テレビに映りこんだ自分の姿を自分の像と認識することもできているし、イッシーのことをおじさんと正しく認識することもできている。

ん、おじさん?

あわててお兄さんと呼ぶように教える。

「おじさん」
「ちがうよ、お兄さんだよ」
「・・・おじさ・・お兄さん?」

その疑問符はなんだぁ!
とーほほー。まあ確かに、大学までは、20代後半はおじさんだと思っていたからなぁ。

そうこうしている内に、RE.氏も復活し、家族3人で買出しに行く旨を聞く。

むー。
おいしい朝食は頂いたけど、饅頭は食ってないんだけどなー。

まあ、RE.氏が帰ってくるまでお留守番をする訳にもいかないので、おとなしく帰ることにする。

帰り道で本屋によって、本をまとめ買いしました。
本屋はサッカースタジアムよりも遠いので、買うときはいつもまとめ買いです。
買ったのは、「太陽王ラムセス」の2巻から5巻までと、「ノルウェイの森」です。
本当は「世界の中心で、愛を叫ぶ」を買うつもりでしたが、文庫ではまだ出てないようだったので断念。「世界の中心で愛を叫ぶけもの」を読んでいるだけに残念なところですが、重い本は今のところ「アンドロイドの脳」だけで十分なので。

つー訳で、その日一番の台詞をもう一度。

「・・・おじさ・・お兄さん?」

おずおずと しかし しっかり間違えた後、たたみかけるように律儀に言い直し、かつ疑問符がつく。しかも同じ笑いを二、三回しかけるという反復の技法までも会得している。そのすばらしい笑いのセンスにおじさん脱帽です。ニンニン。

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